米国税務:扶養控除と配偶者控除の真実 ― 日本の「壁」と米国の「MFJ」、そしてITINの壁

はじめに:日米税制における配偶者・扶養親族の概念の複雑性

米国と日本の税制は、その根底にある哲学が大きく異なります。特に、家族構成が税負担に与える影響、すなわち「扶養控除」や「配偶者控除」といった概念において、その違いは顕著です。日本居住の配偶者を持つ米国納税者にとって、この違いを理解し、適切に米国の確定申告を行うことは非常に重要です。本稿では、日本の「年収103万/130万の壁」と比較しつつ、米国の税制における扶養親族(Dependents)と配偶者の扱い、夫婦合算申告(Married Filing Jointly: MFJ)の要件、日本に住む配偶者を申告に含める際のITIN取得の課題、そして日米租税条約がもたらす影響について、網羅的かつ詳細に解説します。

基礎知識:日米の税制哲学と主要概念

日本の税制における「扶養」と「配偶者」の概念

日本の税制では、配偶者や扶養親族の存在が所得控除に直接影響を与えます。特に、以下の「壁」が広く知られています。

  • 103万円の壁: 配偶者の年収が103万円以下の場合、納税者は「配偶者控除」を受けることができます。これにより、納税者自身の課税所得が減少し、所得税負担が軽減されます。
  • 130万円(または106万円)の壁: 配偶者の年収が130万円(企業規模によっては106万円)を超えると、配偶者自身が社会保険料(健康保険・厚生年金)の扶養から外れ、自己負担が発生します。これは直接的な税金ではなく社会保険料の負担ですが、世帯の手取り収入に大きな影響を与えます。

これらの壁は、世帯全体での税・社会保険料負担を最適化するための重要な指標となっています。日本の税制は、個人の所得だけでなく、世帯の状況を考慮する側面が強いと言えます。

米国の税制における「扶養」と「配偶者」の概念

米国の税制も家族構成を考慮しますが、そのメカニズムは日本と異なります。かつて存在した「パーソナル・エグゼンプション(Personal Exemption)」は2018年以降廃止され、現在は主に以下の制度が適用されます。

  • 標準控除(Standard Deduction): 納税者の申告ステータス(例:独身、夫婦合算申告)によって定められた一定額の控除です。夫婦合算申告(MFJ)の場合、独身に比べて大幅に高い標準控除額が設定されており、これが実質的な「配偶者控除」の役割を果たします。
  • 項目別控除(Itemized Deductions): 医療費、州・地方税、住宅ローン利息、慈善寄付など、特定の費用を合計して標準控除額を超える場合に選択できる控除です。
  • 税額控除(Tax Credits): 課税所得から直接差し引かれるのではなく、税額そのものから差し引かれるため、控除よりも税額軽減効果が高いとされます。代表的なものに「児童税額控除(Child Tax Credit: CTC)」や「その他の扶養親族のための税額控除(Credit for Other Dependents: ODC)」があります。

米国の税制では、配偶者自体を「扶養親族(Dependent)」として直接控除する制度は存在しません。配偶者の存在は、主に「申告ステータス(Filing Status)」を通じて税負担に影響を与えます。

詳細解説:米国の「扶養」と「配偶者」の具体的な扱い

米国の「扶養親族(Dependent)」の定義と要件

米国の税制における扶養親族は、大きく「適格児童(Qualifying Child)」と「適格親族(Qualifying Relative)」の2種類に分類されます。配偶者はこれらの定義には含まれません。

適格児童(Qualifying Child)

以下の要件を全て満たす必要があります。

  • 関係性テスト: 納税者の子、ステップチャイルド、兄弟姉妹、ステップブラザー/シスター、またはこれらの子孫であること。
  • 年齢テスト: 年末時点で19歳未満、または学生の場合は24歳未満であること。または、年齢に関わらず恒久的に全身体障がい者であること。
  • 居住テスト: 年間の半分以上、納税者と同居していること(一時的な不在は除く)。
  • 扶養テスト: 納税者がその児童の年間扶養費の半分以上を提供していること。
  • 共同申告テスト: その児童が夫婦合算申告をしていないこと(ただし、税還付目的のみの場合は例外あり)。

適格親族(Qualifying Relative)

適格児童に該当しない親族で、以下の要件を全て満たす必要があります。

  • 関係性または同居テスト: 納税者の特定の親族であるか、年間を通じて納税者と同居していること。
  • 収入テスト: その親族の年間総所得が、特定の金額(2023年で4,700ドル)を超えないこと。
  • 扶養テスト: 納税者がその親族の年間扶養費の半分以上を提供していること。
  • 共同申告テスト: その親族が夫婦合算申告をしていないこと。
  • 非扶養親族テスト: 他の納税者の適格児童でないこと。

これらの扶養親族がいる場合、児童税額控除(CTC)やその他の扶養親族のための税額控除(ODC)の対象となる可能性があります。

配偶者の申告ステータスと「夫婦合算申告(MFJ)」

米国の税制における配偶者の扱いは、主に「申告ステータス」を通じて行われます。最も有利な申告ステータスの一つが「夫婦合算申告(Married Filing Jointly: MFJ)」です。

夫婦合算申告(MFJ)のメリット

  • 高い標準控除額: 独身で申告するよりも大幅に高い標準控除額が適用されます(例:2023年で独身13,850ドルに対し、MFJは27,700ドル)。
  • 低い税率区分: 独身に比べて、同じ所得水準でも低い税率区分が適用されるように設計されています。
  • 利用可能な税額控除: 多くの税額控除(例:児童税額控除、教育関連控除)がMFJで満額利用可能となります。

非居住外国人(Non-Resident Alien: NRA)配偶者とのMFJ

米国市民または居住外国人(Resident Alien)が非居住外国人(NRA)の配偶者を持つ場合、通常は「夫婦個別申告(Married Filing Separately: MFS)」を選択し、NRA配偶者は米国の申告書に含めません。しかし、MFJのメリットを享受するために、IRS(内国歳入庁)に対してNRA配偶者を「居住外国人として扱う」という選択(IRC Section 6013(g) Election)を行うことができます。これは、NRA配偶者を米国税務上、居住外国人として扱うことを意味します。

日本に住む配偶者を米国の申告で扶養に入れるための要件とITIN取得の壁

「日本に住む配偶者を米国の申告で扶養に入れる」という表現は、厳密には「NRA配偶者を居住外国人として扱い、夫婦合算申告(MFJ)を行う」ことを意味します。

6013(g)選択の要件

  • 双方の同意: 米国市民/居住外国人である納税者と、NRA配偶者の双方が、居住外国人として扱われることに同意し、共同で申告書に署名する必要があります。
  • 納税者番号の取得: NRA配偶者は、米国の納税者番号(Individual Taxpayer Identification Number: ITIN)または社会保障番号(Social Security Number: SSN)を保有している必要があります。
  • 全世界所得の報告: この選択を行うと、NRA配偶者の全世界所得(日本での所得を含む)も米国の確定申告書に含めて報告し、米国の課税対象となります。

ITIN取得の壁

NRA配偶者がSSNを持っていない場合、ITIN(個人納税者識別番号)を取得する必要があります。ITINの取得は、特に日本居住者にとっては大きな壁となることがあります。

  • 申請方法: IRSのForm W-7を提出し、自身の身元と外国籍を証明する書類(パスポートの原本、または領事館による認証コピー)を添付する必要があります。
  • 書類の送付: パスポートの原本をIRSに郵送することになり、紛失のリスクや、返却までの期間(数週間から数ヶ月)パスポートが手元にないという不便が生じます。
  • 認証代理人(Certifying Acceptance Agent: CAA)の利用: 米国外にもIRS認定のCAAが存在し、彼らを通じて申請すれば、パスポートの原本を送付する必要がなくなります。CAAはパスポートの認証コピーを作成し、W-7と共にIRSに送付してくれます。しかし、CAAのサービスには費用がかかります。
  • 時間的制約: ITINの取得には通常数週間から数ヶ月を要するため、確定申告の期限に間に合わせるためには早期の準備が必要です。

このITINの取得が、NRA配偶者とのMFJを選択する上での最大の障壁となるケースが多く見られます。

日米租税条約による所得控除の可否

日米租税条約は、二重課税の排除や租税回避の防止を目的としています。NRA配偶者とのMFJを選択し、NRA配偶者を米国税務上の居住者として扱った場合、その配偶者の全世界所得は米国の課税対象となります。

  • 原則: 6013(g)選択により居住者扱いとなった配偶者の所得は、米国の国内法に基づき課税されます。この場合、条約の「居住者」の定義は通常、選択をした配偶者には適用されません。
  • 外国税額控除: 日本で課税された所得については、外国税額控除(Foreign Tax Credit)を利用して米国の税額から控除できる可能性があります。これにより、二重課税をある程度軽減できます。
  • 特定の所得に対する条約適用: ただし、条約には特定の種類の所得(例:年金、学生・研究者の所得など)に対する特別な規定が存在します。これらの規定が、6013(g)選択をした配偶者に適用されるかどうかは、条約の解釈と個別の状況によります。一般的には、米国税務上の居住者となった時点で、その配偶者の所得は米国の国内法に従って課税され、条約の特定の免税規定は適用されにくくなります。しかし、条約の「Saving Clause」など、複雑な規定が絡むため、専門家との相談が不可欠です。

結論として、6013(g)選択の主な目的はMFJによる税務上のメリット享受であり、NRA配偶者の日本での所得を条約で完全に免税にすることは困難である場合が多いです。むしろ、外国税額控除による二重課税の調整が中心となります。

具体的なケーススタディ・計算例

ここでは、米国市民/居住外国人が日本に居住する配偶者を持つ場合の税務上の選択肢とその影響を比較します。ここでは簡略化のため、州税は考慮せず、2023年の連邦所得税率と標準控除額を使用します。

前提条件:

  • 米国市民である夫(John)の年間所得:$80,000(全て米国源泉所得)
  • 日本居住の妻(Yoko)の年間所得:
    • ケースA: $0(無収入)
    • ケースB: $20,000(日本源泉所得)
  • 夫婦には扶養親族なし

ケースA:妻(Yoko)が無収入の場合

選択肢1:夫婦個別申告(Married Filing Separately: MFS)

  • Johnの標準控除額(MFS):$13,850
  • Johnの課税所得:$80,000 – $13,850 = $66,150
  • Johnの連邦所得税(MFS税率):
    • $11,000まで10% = $1,100
    • $11,001~$44,725まで12% = ($44,725 – $11,000) * 0.12 = $4,047
    • $44,726~$66,150まで22% = ($66,150 – $44,725) * 0.22 = $4,713.50
    • 合計税額:$1,100 + $4,047 + $4,713.50 = $9,865.50
  • Yokoの所得は米国で課税されない。

選択肢2:夫婦合算申告(Married Filing Jointly: MFJ) – 6013(g)選択

  • 総所得:$80,000 + $0 = $80,000
  • MFJ標準控除額:$27,700
  • 課税所得:$80,000 – $27,700 = $52,300
  • 連邦所得税(MFJ税率):
    • $22,000まで10% = $2,200
    • $22,001~$52,300まで12% = ($52,300 – $22,000) * 0.12 = $3,636
    • 合計税額:$2,200 + $3,636 = $5,836

結果(ケースA): 妻が無収入の場合、MFJを選択することで約$4,029.50($9,865.50 – $5,836)の税額が節約できます。ITIN取得の手間を考慮しても、MFJが圧倒的に有利です。

ケースB:妻(Yoko)が年間$20,000の日本源泉所得を持つ場合

選択肢1:夫婦個別申告(Married Filing Separately: MFS)

  • Johnの税額:$9,865.50(ケースAと同じ)
  • Yokoの所得は米国で課税されない。
  • (日本の税金はYokoが日本で別途支払う)

選択肢2:夫婦合算申告(Married Filing Jointly: MFJ) – 6013(g)選択

  • 総所得:$80,000 (John) + $20,000 (Yoko) = $100,000
  • MFJ標準控除額:$27,700
  • 課税所得:$100,000 – $27,700 = $72,300
  • 連邦所得税(MFJ税率):
    • $22,000まで10% = $2,200
    • $22,001~$89,450まで12% = ($72,300 – $22,000) * 0.12 = $6,036
    • 合計税額(外国税額控除前):$2,200 + $6,036 = $8,236
  • 外国税額控除: Yokoの$20,000の所得に対する日本の所得税を、米国の税額から控除できる可能性があります。仮にYokoが日本で$1,000の税金を支払ったとすると、米国の税額は$8,236 – $1,000 = $7,236となる可能性があります(外国税額控除の計算には複雑な制限があります)。

結果(ケースB):

  • MFSの場合、Johnの税額は$9,865.50。
  • MFJの場合、外国税額控除を考慮すると、$7,236。

この場合もMFJが有利に見えますが、Yokoの所得がさらに高くなると、MFJのメリットは減少するか、MFSの方が有利になる可能性もあります。特に、Yokoの日本での税率が米国の税率よりも低い場合、MFJを選択すると追加の米国税が発生する可能性があります。

メリットとデメリット

NRA配偶者とのMFJ選択のメリット

  • 大幅な税額軽減の可能性: 特にNRA配偶者に所得がないか、非常に低い場合に、MFJの高い標準控除額と低い税率区分により、米国の納税者の税負担が大きく軽減されます。
  • 税額控除の利用: 児童税額控除(CTC)など、多くの税額控除がMFJでしか利用できないか、MFSよりも有利な条件で利用できます。
  • 簡素化された申告(一部): 世帯全体の所得を一つの申告書で報告できるため、税務計画がしやすくなる場合があります。

NRA配偶者とのMFJ選択のデメリット

  • NRA配偶者の全世界所得が米国課税対象に: NRA配偶者の日本での所得(給与、事業所得、不動産所得など)も全て米国の課税対象となります。これが最も重要なデメリットであり、NRA配偶者の所得が高い場合は、MFJを選択しない方が有利になることがあります。
  • ITIN取得の複雑さ: パスポート原本の郵送など、ITIN取得プロセスは時間と手間がかかります。
  • 情報開示の義務: NRA配偶者は、自身の全世界所得や資産に関する情報を米国に開示する必要があります。
  • 選択の取り消しが困難: 一度6013(g)選択を行うと、IRSの許可なしに簡単に取り消すことはできません。
  • 州税への影響: 連邦税でMFJを選択しても、州税では別のルールが適用される場合があります。多くの州では、MFJを選択した場合、NRA配偶者も州税の居住者として扱われ、州税が課税される可能性があります。

よくある間違い・注意点

  • 「扶養親族」と「配偶者」の混同: 米国税法上、配偶者は扶養親族ではありません。配偶者の存在は申告ステータスに影響を与え、MFJを選択することで税務上のメリットが得られます。
  • 全世界所得の報告義務の認識不足: NRA配偶者を居住者として扱う選択をした場合、その配偶者の全世界所得を米国に報告し、課税対象となることを理解していないケースが散見されます。これにより、予期せぬ高額な税金が発生することがあります。
  • ITIN取得の遅延: ITINは確定申告書を提出するまでに取得しておく必要があります。期限ぎりぎりでの申請では間に合わない可能性があります。
  • 外国税額控除の適用誤り: 日本で支払った税金が全て米国の税額から控除できるわけではありません。外国税額控除には複雑な計算ルールと制限があります。
  • 州税の考慮漏れ: 連邦税のMFJ選択が自動的に州税にも有利に働くとは限りません。各州の税法を確認する必要があります。

よくある質問(FAQ)

Q1: 日本に住む配偶者を米国の確定申告で「扶養控除」として申告できますか?
A1: 米国の税法上、配偶者は「扶養親族(Dependent)」として直接控除することはできません。しかし、非居住外国人(NRA)の配偶者を居住外国人として扱う選択(6013(g) Election)を行うことで、夫婦合算申告(MFJ)が可能となり、結果として高い標準控除額や低い税率区分が適用され、税負担が軽減される場合があります。
Q2: 配偶者がITINの取得を拒否した場合、どうなりますか?
A2: 配偶者がITINの取得を拒否した場合、NRA配偶者を居住外国人として扱う選択(6013(g) Election)を行うことはできません。この場合、米国市民/居住外国人である納税者は、「夫婦個別申告(Married Filing Separately: MFS)」のステータスで申告することになります。MFSは通常、MFJよりも税務上のメリットが少ないです。
Q3: 6013(g)選択をしてMFJで申告した場合、配偶者の日本での税金はどうなりますか?
A3: 6013(g)選択は、あくまで米国税務上の扱いです。配偶者の日本での所得に対する日本の税金義務には影響しません。配偶者は引き続き日本の税法に従って納税義務を履行する必要があります。米国では、日本で支払った税金に対して外国税額控除を適用できる可能性があります。
Q4: 6013(g)選択は一度行ったら永続的ですか?
A4: 6013(g)選択は、原則として取り消しができません。ただし、夫婦の離婚、どちらかの死亡、またはIRSの許可がある場合に限り、終了することができます。選択を取り消す場合は、IRSに書面で申請し、承認を得る必要があります。

まとめ:複雑な制度を理解し、最適な選択を

米国税法における扶養控除と配偶者の扱いは、日本のそれとは根本的に異なる複雑な制度です。特に、日本に住む非居住外国人の配偶者を持つ米国納税者にとっては、夫婦合算申告(MFJ)の選択が大きな税務上のメリットをもたらす可能性がある一方で、配偶者の全世界所得が米国の課税対象となるという重要なデメリットも存在します。ITIN取得のプロセス、そして日米租税条約の適用可能性についても、深く理解しておく必要があります。

この分野の税務は個別性が高く、一般的な情報だけでは判断が難しい場合があります。ご自身の状況に最適な税務戦略を策定するためには、必ず米国税務に精通した専門家(CPAやEA)に相談し、具体的なアドバイスを受けることを強くお勧めします。適切な計画と申告により、不必要な税負担を回避し、合法的に税務上のメリットを最大限に享受することが可能となります。

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