親から米国株や米国不動産を相続した、あるいは日本の実家を相続した米国在住者が売却を考えている。そんなとき、日米で「取得価額(コスト・ベーシス)」の考え方が根本的に異なることを知らないと、想定外の税負担が生じます。米国には相続資産の取得価額が死亡時の時価に切り上がる「ステップアップ・ベーシス」があり、日本には被相続人の取得費をそのまま引き継ぐ「取得費の引継ぎ」があります。この記事では両制度の仕組みと、日米にまたがる相続で実際に起きる課税のズレ、そして実務上の注意点を2026年時点の制度で整理します。
米国のステップアップ・ベーシス(Section 1014)とは
米国内国歳入法1014条では、相続(遺贈・遺産分割・生存者権付き共有名義など)で取得した資産の取得価額は、原則として被相続人の死亡日における公正市場価値(FMV)になります。遺産税申告で代替評価日(死亡後6か月)を選択した場合はその日の時価です。
- 含み益が消える:たとえば10万ドルで購入した株式が死亡時に50万ドルなら、相続人の取得価額は50万ドルになり、直後に売却しても譲渡益はほぼゼロです。
- 値下がり資産は「ステップダウン」:時価が取得価額を下回っていれば、取得価額は時価まで下がり、含み損は失われます。
- 保有期間は自動的に長期扱い:相続資産を売却する場合、保有期間にかかわらず長期キャピタルゲイン税率(0%・15%・20%)が適用されます。
- 対象外の資産がある:Traditional IRAや401(k)、未受領の給与・年金などの「被相続人に係る所得(IRD)」はステップアップしません。受取時に相続人の通常所得として課税されます。
- 生前贈与は引継ぎ:贈与で取得した資産は贈与者の取得価額を引き継ぎます(Section 1015)。含み益の大きい資産を生前に贈与すると、ステップアップの機会を失う点に注意が必要です。
夫婦共有名義と州法の影響
夫婦の共有名義資産は、ニューヨーク州など多くの州では死亡した配偶者の持分(原則2分の1)のみがステップアップします。一方、カリフォルニア州やテキサス州などの夫婦共有財産(コミュニティ・プロパティ)州では、共有財産の全額が時価に切り上がる「ダブル・ステップアップ」が認められます。また、配偶者が米国市民でない場合、共有名義資産は拠出割合に応じて被相続人の遺産に含まれるルール(Section 2040(a))が適用されるため、遺産税の計算とステップアップの範囲が市民同士の夫婦とは異なります。
日本の「取得費の引継ぎ」(所得税法60条)
日本では、相続や遺贈(限定承認を除く)で取得した資産を売却する際、被相続人の取得費と取得時期をそのまま引き継ぎます。つまり、含み益は消えず、相続人が売却したときに譲渡所得として課税されます。相続税を納めたうえで所得税も負担する形になるため、緩和措置として「相続税額の取得費加算の特例」(租税特別措置法39条)があり、相続開始の翌日から相続税の申告期限の翌日以後3年を経過する日までに売却した場合、その資産に対応する相続税額を取得費に加算できます。また、取得費が不明な場合は売却価額の5%を概算取得費とする取扱いがあり、古い資産ほど譲渡益が大きく計算されがちです。
| 項目 | 米国(Section 1014) | 日本(所得税法60条) |
|---|---|---|
| 相続資産の取得価額 | 死亡日の時価(FMV)に切り上げ/切り下げ | 被相続人の取得費を引き継ぐ |
| 保有期間 | 自動的に長期扱い | 被相続人の取得日から通算 |
| 含み益の扱い | 相続時点で実質的に消滅 | 相続人が売却時に課税 |
| 緩和措置 | 不要(時価ベース) | 相続税額の取得費加算(一定期間内の売却) |
| 対象外 | IRD(IRA・401(k)・未収給与など) | 限定承認・一部の特例資産 |
日米にまたがる相続で起きる3つのパターン
パターン1:日本居住の親から米国株・米国不動産を相続する(相続人も日本居住)
米国側では、非居住外国人である親の米国内資産(米国株式、米国不動産など)が米国遺産税の対象になり、基礎控除は原則6万ドルにとどまります(日米相続税条約により控除額が拡大できる場合があります)。相続人が日本居住の非居住外国人であれば、その後に米国株を売却しても米国では原則課税されません。一方、米国不動産の売却益は米国で課税され、その際の取得価額は死亡時の時価です。日本側では相続税に加え、売却時に引き継いだ取得費で譲渡所得が計算されます。
パターン2:米国居住(市民・永住者)の子が日本の親から日本の資産を相続する
米国では、非居住外国人から相続した国外資産についても、Section 1014(b)(1)により死亡日の時価が取得価額になります(Rev. Rul. 84-139)。米国遺産税の対象でなくても適用があります。したがって日本の実家を売却した場合、米国側の譲渡益は小さく計算されます。ところが日本側では、非居住者であっても国内不動産の譲渡は日本で課税され、取得費は親の取得費(不明なら5%)を引き継ぐため、譲渡益が大きくなります。結果として「日本では多額の税、米国では少額の税」というズレが生じ、日本で払った税金を米国の外国税額控除(Form 1116)で使い切れず、二重課税が部分的に残る可能性があります。なお、非居住外国人からの年間10万ドル超の相続はForm 3520の報告対象です。
パターン3:米国居住者が米国資産を相続する(相続人に日本居住者が含まれる)
米国側は通常どおりステップアップが適用されます。ただし日本の相続税は原則「相続人」基準で課税されるため、相続人の一人が日本居住者であれば、その人が取得した米国資産にも日本の相続税がかかります。その後、日本居住の相続人が米国株を売却すれば、日本では引継ぎ取得費で譲渡所得が計算されます。
実務上のチェックポイント
- 死亡日の時価の証拠を残す:不動産は鑑定評価、上場株式は死亡日の高値・安値の平均などで算定します。証券会社に死亡日評価額(Date of Death Valuation)の発行を依頼できます。
- Form 706/706-NAを提出する遺産では、相続人に報告した取得価額と整合させる義務(Section 1014(f)、Form 8971)があります。
- 為替換算:日本側は円で、米国側はドルで取得価額を管理します。円安・円高の局面では為替差が譲渡益に大きく影響します。
- 贈与か相続か:含み益の大きい資産は、米国所得税上は生前贈与より相続で承継する方が有利になることが多い一方、日本側の相続税・贈与税の負担も含めて総合的に判断する必要があります。2026年の米国遺産税の基礎控除額は市民・居住者で1,500万ドル、年間贈与非課税枠は1人あたり19,000ドル、非市民配偶者への贈与は年194,000ドルです。
よくある質問
米国の証券口座にある株式を相続しました。売却時の取得価額はどうなりますか?
原則として被相続人の死亡日の時価です。TOD(死亡時譲渡)指定口座や生存者権付き共有口座でも同様に扱われます。証券会社によっては自動的にコスト・ベーシスを更新しないため、死亡日評価額の反映を依頼し、Form 1099-Bの記載を確認してください。
日本の実家(親の取得費が不明)を相続した米国居住者が売却する場合の注意点は?
日本では概算取得費(売却価額の5%)で計算されるため譲渡益が大きくなり、一方で米国では死亡日の時価が取得価額になるため譲渡益は小さくなります。日本で納めた所得税を米国で外国税額控除するには限度額の制約があるため、売却時期や控除の繰越を含めて事前に日米双方の専門家に確認することをおすすめします。
生前に子供へ名義を移しておく方が有利ですか?
米国では贈与は取得価額の引継ぎとなり、ステップアップの機会を失います。年間非課税枠を超える贈与にはForm 709の申告も必要です。日本側でも贈与税の対象となるため、含み益の大きい資産については慎重な検討が必要です。
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の税務アドバイスに代わるものではありません。実際の判断にあたっては、最新のIRS規則および日本の税法をご確認のうえ、日米の税務専門家にご相談ください。
まとめ
米国のステップアップ・ベーシスは相続時点で含み益を実質的に消滅させる一方、日本の取得費引継ぎは含み益を相続人が売却するまで持ち越します。この構造的な違いにより、日米にまたがる相続では、どちらの国で誰が資産を売却するかによって税負担が大きく変わります。死亡日の時価の証拠を確保し、売却のタイミングと外国税額控除の限度額を事前にシミュレーションしておくことが、二重課税を避ける最も確実な方法です。
